ソフトテニスとは

ソフトテニスとは

 ソフトテニスは、ネットを挟んで相手と向かい合い、ラケットを使ってボールを打ち合ってポイントを競うスポーツです。自分のコートに飛んできたボールをノーバウンド(コートに一度もつかない状態)か、ワンバウンド(コートに一度だけついた状態)で返球します。
 ソフトテニスの試合にはダブルスとシングルスがあり、対戦方法としては個人戦と団体戦があります。
試合は、7ゲームマッチ(4ゲーム先取)か9ゲームマッチ(5ゲーム先取)で行われるのが一般的です 。1ゲームは4ポイント先取です。ただし、ファイナルゲームだけは7ポイント先取で行います。カウントのとり方は、0(ゼロ)、1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)と簡単に誰にでも判りやすくなっています。 
ソフトテニスのダブルスの魅力は、ラリー(球の打ち合い)が続くことや、2人のプレーヤーのコンビネーションの妙技にあります。
 ラリーの見どころとしては、シュートボール(速いボール)での打ち合いの迫力はもちろん、ロビング(山なりのゆるいボール)やショートボール(短いボール)を織り交ぜた多彩な攻撃や、スマッシュやボレーなどの華麗なネットプレーが挙げられます。
 コンビネーションは、パートナー同士がお互いにカバーし合うだけでなく、相手陣形を崩すような配球をしたり、ポジション取りを変えたりすることによって、味方のプレーヤーがポイントしやすいようにプレーしたり、相手のミスを誘ったりすることもります。このようなことは平素からお互いの気持ちが通じ合っているから可能なことであり、ダブルスならではの魅力です。
 ソフトテニスの特色である2人で協力して1ポイントを獲得するラリーの応酬も楽しませてくれますが、更には、選手の個々の動作に注目するとラリーの応酬とは、ひと味違った競技の楽しみ方ができるはずです。

ソフトテニスの歴史

 ソフトテニスの歴史は明治13年頃に英国から渡ってきた「ローンテニス」(硬式庭球)が横浜居留地に伝わり、体育伝習所教官のリーランド氏(米人医師で体育指導者)が学生に教えたのが始まりで、明治17年に日本独自のゴムボールを使用する軟式庭球が生まれました。
明治23年、東京高等師範学校の要請によって「三田土ゴム」がテニス用ゴムボール「赤Mボール」を製造し、以後日本独自の「軟式庭球」が普及した。軟式庭球大会としての記録が残っているのは、明治31年、東京高師と東京高商の対抗戦が始めで、その後、早稲田大学・慶応大学が加わり4校の対抗戦は人気を博しました。
連盟創立80余年、連盟創始120余年を経て、今では、老若男女問わず幅広い年齢層が楽しめるスポーツとして普及し、競技人口も約54万人を数える。
(公財)日本ソフトテニス連盟では、ソフトテニスの発展のため国際普及活動に力を注いでおり、韓国・中華台北と共に、東南アジア等への普及も積極的に行っている。昭和31年からアジア大会を開催し、その後もアメリカ・ハワイ・ヨーロッパ・アフリカ南米等への普及を図り、昭和49年には「国際軟式庭球連盟」結成を成し遂げ、昭和50年ハワイにおいて「第1回軟式庭球世界選手権大会」が開催された。
 こうして、ソフトテニスは国際スポーツの仲間入りをしました。その後の普及活動で中国も参加し、昭和61年からソフトテニスを正式に大学の科目として採用した結果、中国各地に普及している。
平成2年の「北京アジア競技大会」では公開競技として開催され、平成6年の「広島アジア競技大会」では正式競技として開催されました。この両アジア競技大会の間にソフトテニスの国際化は急速に進みました。更に、国際化を図るため、100年以上続いた名称「軟式庭球」から平成4年には国際普及のため「ソフトテニス」に改めました。
 平成15年に広島市で開催された「第12回世界選手権大会」では、過去最大の30ヶ国(地域)が参加するに至っています。国際大会については、平成16年「第5回アジア選手権大会(チェンマイ)」、平成17年「第4回東アジア大会(マカオ)」、平成18年「第15回アジア競技大会(カタール・ドーハ)」、平成19年「第13回世界選手権大会(韓国・安城市)」が開催され、平成20年は「第6回アジア選手権大会(韓国)」が開催された。
 なお、上記国際大会(世界選手権大会・アジア選手権大会・アジアカップ・アジア競技大会)が、4年に1度のローテーションで開催されている。

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